”そうだ!” ”やってみよう!”

少年少女発明クラブ指導員の「つぶやき」

自分らしく生きる

「自分らしく生きるとは、やりたいように生きる」ことではない。
人間は自分を自由に表現するために生きている。
今の自分は過去の学習と生活してきた環境が作り出したも。
ですから一人の人間としての自分らしさが存在するのではなく、親、家族、友人など自分と関わりあった全ての人と 全ての経験の結果としての自分が存在する。
言動に一貫性を持つことが自分らしいとは限らない。

 

 


信念を貫き通すことが自分らしいとも言えない。
人間は常に成長していく。
人間は自分の意思と周りからの影響によって日々、変化している。
人間は個人主義が進んでも、集団から全く離れた人生を送ることはできない。
だからこそ、今の環境の中で、周りと共栄できるような自分を作る。
それが自由への第一歩。
周りに感謝できるような自分を作るのも重要。
自分らしく生きるとは、
「自分らしい表現方法で周りとの共生(共栄、共存を図ること)」

 

当クラブでは子どもが「自分らしく生きる」のを応援しています。

 

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子どもの自然認識と科学的思考

自然は多様性と普遍性を兼ね備えています。

自然が身近にあること、さらに感動を分かち合ってくれる大人が常にいること、これら二つが大切です。
こうした自然を通して子どもたちはなにを育んでいくのでしょうか。

幼児にとって、自然とは何であるのだろう。
どのような自然認識をもっているのか。

自然は、人間の心を豊かにしてくれると共にやさしさを与えてくれるものであり、子どもの成長にとって、自然は多くのものを与えてくれる。
人間の生存に不可欠の条件である。子どもは、自然との触れ合いを通して、多くの知識や体験を学ぶことができるのである。幼児にとって、自然とは、かけがえのない環境なのである。

さらに、自然認識は科学的思考を獲得するのに不可欠なものである。

自然認識は科学的思考の発達段階は良く4つの段階に区分される。

第1段階(3才〜5才頃)は自然の事物や現象への関心の時間が極めて短く、
     一時的、断片的な理解しかできない。太陽も月も外界にあるもの
     は全て人間がつくったものと考え、全てのものに心があると考える。

第2段階(6才〜8才)は自然の事物や現象への関心が継続的、関連的にな
     るが、外界の事物を自分と同じように考えたり、主観と客観を区
     別して考えられるようになる。
     論理的な理由づけを要求しない。

第3段階(9才〜10才)
     論理的な思考が出来るようになり、論理的な理由づけを求めるす
     るようになる。

第4段階(12才〜13才以上)
    論理的思考が展開できるようになり、自然の事物や現象の本質を理
    解できる。論理的考え方ができ、本質的な理解を求める。

子どもの自然体験プログラムが全国で実施されているが、自然認識を考慮したしたもでなければ「だだの体験」になってしまう危険性がある。

発明クラブの活動はゲーム

クラブの活動ははゲームそのもの。
ゲームにはルールがある。
ルールの範囲内で行動する。
そのルールは「一般的、世間」という市場原理ではなく、信頼関係で成り立つ「和」である。

クラブというゲームの参加者はクラブ員、指導者。
信頼関係が成り立てばだれどもプレーヤーになれる。クラブごとのルールがある。


クラブのルールは「信頼」。

みなさんも発明クラブといゲームに参加してみませんか。

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子どもの空間認識力を高める

クラブでは「アソコ」、「ソコ」「ソノアタリ」などという言葉はつかいません。
上から、左から、真ん中など空間認識を促す語彙を意識的に使っています。
その言葉から、頭の中でどうなるか視覚化するよう促すのも助けになります。

活動の中で説明書を見て工作をする、自らのアイデアを試してみても、空間認識力は高められます。
自らのアイデアを形にするのは空間認識力だけでなく創造力を培うことにもなります。

初級の活動では、工作図面を使いそれを様々な素材と道具を使い自分の手で組み立てる。
その中で空間認識力を高めていきます。
中級・上級の活動では自らのアイデアを図面にし、
その図面をもとに工作をし創造性を養っています。

 

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「スライムと私」

「私がスライムに出会ったのは、今から20数年前のことです。

 アメリカの中学、高校で使われている科学のテキストを翻訳していて、「スライム」が高分子の理解のために取りあげられていました。またNASAのサマースクールでも取りあげられていることを知りました。

 

 スライムが洗濯糊と硼砂というありふれた材料でできることに驚くと同時に、これを日本の子どもたちに広めたいと思いました。最初は小学校の児童を、さらに幼稚園や中学校や理科の実験教室でも行うようになりました。高校や大学で実施したこともあります。

 

 「スライム」の実験をいくつかの本や雑誌で紹介してきました。

 

 実験をはじめると「知ってる」という声があがることがあります。何を知っているかと聞くと、「おもしろい」、「おもちゃである」という声だけです。

 ひとつの「スライムの実験法」という「技術」だけが拡散していく結果となりました。その結果「なぜスライムになるのか」「そのためにはどのようにすれば良いのか」という、「不思議な現象」に挑戦する意欲を子供たちだけでなく指導者からも奪ってきてしまってきました。さらにその実験から学べる多くのことだけでなく、未知な事に挑戦するという科学的な心まで失わせてしまいました。

 

 子どもたちのスライムが固まらなかったときに「なぜ固まらないのだろう」という疑問が出てきます。そして、その原因を調べようと「硼砂溶液を加えたり」「洗濯糊を加えたり」します。そして答えとともに、答えを発見するためにどのように考えていけば良いかという手法を学ぶことができます。

 最近はスライムを作るだけではなく、「答えを発見」できる実験を加えています。

 

 科学は知識だけではないと思っています。知識は道具でしたないのです。科学とは、試すことによってはじめて見つかる疑問を解決するために、その理由を推論し、実証する方法を考えだし、実験によってそれを確認するという手続きも学びです。

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大学院での講義と千石先生

勤務していた大学で4月に入学した大学院生の合同セミナーで話をしてきた。

理研の騒動以来、

「研究とは」、「実験(研究)ノートとは」という話をしている。

 

毎年、若くして亡くなった「千石庄一」先生の話を最後にする。

彼とはあるテレビ番組の取材と雑誌のインタビュー(インタビューと対談)で知り合った。

猫好きということ、お互い「相手に自分を見ている」ような思いがあり、親しくつきあうようになった。

「髪の毛をどこまで伸ばせるか」というかけをしたこともある。

 

先生の若者に向けたメッセージです。

自分たちがどのような存在であるかが解っていないから「ヘビはどうして足がないのに歩けるのですか」という質問をしてくる、ヘビして思えば「人間はどうして2本足で歩けるか」という質問がでる。このような質問がでるのは、人間サイドからの考え方から発しているから疑問である。

もっと客観的に自然のことを想像し、人間から離れた目で自然を見ることが必要です。

社会の問題も一緒で、日本人であると言う発想から出ていかないで、それでいいとか当たり前だとか思っている。それをとっぱらってもっと客観的に世界を見られる人間になってほしい。

 

 

子ども・若者の参画

今この本が再評価されている?

子ども・若者の社会参画をどのようにすすめたらいいかということを

実践例をあげて評価・考察したものである。

評価はロジャー・ハート氏の「参画のはしご」をもとにおこなった。

http://www.rikkyo.ne.jp/~htanaka/01/Sankaku01.html

氏の訳本にも関わった。

この本では

僕は小学校の現場で行われている、実践を評価した。

 

「この本を読んだ、講演をして欲しい」と、数カ所から依頼がきた。

 何を書いたのかな、読みかえそうと思ったが本がない。

出版社に注文した。

発明クラブに関わるようになったのは、この本が発刊された頃。

当時、朝〇新聞の記者に行動をウオッチングされていた。

発明クラブの開設式にも、記者が取材にきて、

その記事が朝〇新聞の全国版に掲載されたことを思い出した。

 

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