”そうだ!” ”やってみよう!”

少年少女発明クラブ指導員の「つぶやき」

子どもに「人の役に立つ喜び」を!

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子どもを「褒めない」、「人の役に立つ喜び」を教えよう。

子どはほめて育てよ、といった考えが主流になっている。
僕はこの考えに賛成できない。
子どもや学生を褒めたことがない。

褒めて育てると「ほめられたいからやる」とうい間違ったシグナルを植え付ける。
言い換えれば 「ほめる人がいないからやらない」といった心をもつようになる。
やったのにほめてもらえない時に、子どもは傷つく。

子どもの自己肯定感を妨げます。

子どもには「人の役に立つ喜び」を教えて下さい。
人の役に立つ喜びを知っている子供は、人の役にたつために行動を起こします。
そのこと自体が喜びですから、見返りを求めません。

人は本来、人に役たちたいと願っています。
自分の存在を持って人の役に立つことができるのは、嬉しいことなのです。

人の役に立つ喜びを教えるのは難しいことではありません。
子どもを「いい子ね」とほめるのではなく、「ありがとう」「助かったよ」と感謝、喜びを伝えるだけでいいのです。

 大学の教員をしていたころ、ラボに子どもの頃「褒め殺し」された青年が多くかよってきます。研究を始める前に「人の役にたつ喜び」を教えていました。

 

クラブの卒業生

今日は発明クラブを休んで、

実行委員を務める、環境関係のイベントに参加しました。

そこでクラブの卒業生(大学2年)にあった。

僕が持参した書籍を見て、

「この本、大学の授業で使っている」と。

僕が書いた本だよといったら、驚いていた。

サイン本が欲しいというので、サインしてあげた。

みんなに自慢しようと。。。

 

この子も「発明クラブの指導員としてスカウト」しよう。

発明クラブには、クラブを卒業して、指導員となった子が数名いる。

 

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今年の春に東京書籍より出版した本です。

読んで見て下さい。

 

「怒る」と「叱る」

発明クラブでは子どもたちを「怒る」ことはしません。

 

「怒る」というのは、腹を立てることであり、 そこにには多少とも、相手が憎らしい、いじめてやろうという感情が入る。 自分に対する怒りを相手に向けている場合もあります。

 

「叱る」とは「とがめ諭す、とがめ戒める」ということです。 相手の身になって発する言葉です。 怒ると叱るで「言葉は変わらない」ときもあります。 自分の心の持ちようで、相手が受ける印象は変わります。 相手が怒られていると思っているうちは 心が動かず、こちらの「くたびれもうけ」。。。。

 

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実験クラブ(うれしい悲鳴!)

地元の小学校にボランティアとして20年近く関わっています。

今年も実験クラブのお手伝いをすることになりました。

定員10名の募集にたいして倍以上の応募があり、20名でスタートすることになりました。(うれしい悲鳴!)

6年生は、第一希望を優先するということで、15名の応募があり、全生徒数の4割が実験クラブに参加しています。

3年間(4,5,6年)実験クラブという生徒もいます。

今年のテーマは「おいしい実験」ということで12回の活動を予定しています。

第一回目は「べっこうあめ」作りを、カセットコンロを使って行いました。

温度コントロールが難しく、いろいろなべっこうあめができがりました。

べっこうあめを食べながら、

砂糖と温度の関係を話しました。

 

 子どもたちの笑顔に癒やされています。

子どもたちにとって「あそび」とは

子どもたちにとってあそびは、
生きることのすべてといってもいいと思います。
学校では先生、家庭では親にあわせて生活しなければなりませんが、あそび集団の中では、自分の意思でどんなことにでも挑戦できます。
 
あそびには子どもたちを人間として豊かに育てていく可能性がいっぱい含まれています。

子どもたちの旺盛な好奇心と、空想力と、友を求める心、ほとばしるエネルギーがさまざまなあそびを生み出し、伝えてきたのです。
だからこそあそびは、人間として育つエネルギーであり、人間らしく育っていくためのに欠くことのできないことです。

今の子どもたちが、十分なあそびができず、むしろあそびの中で人間性や社会性を崩していっているとしたら、それは、生き物としても人間としても不幸せな道です。

かつて地域には、子どもがわくわくするようないろんなフィールドがありました。あそびは同時に創造性を刺激してくれます。